アフリカ友の会

第2回 NGOアフリカ友の会からの現地報告   「アランありがとう」


職員のアランは、現在エイズで闘病中。毎週、Eメールで彼の容体が届く。
「アランは、エイズ薬をきちんと飲んでいない。食事をとることを拒否する」など腹の立つ内容である。
職員たちは、「アランが早く元気になるようにと懸命に世話をしているのに、彼は早く死にたいとでも言いたげな態度だ」と職員が怒って電話をしてきた。

 アラン45歳は、15年前からガードマンとして働いている。
彼の誠実な働きは職員全員が認めている。広い診療所内のあちこちにある小さな花壇の世話を一人でしている。「父親が庭師だったので僕も花が好きです」と照れるが。花壇には、鳳仙花、マリーゴールド、赤や白の日々草などがいつも咲いている。
食糧庫のネズミ対策として飼っている2匹の猫はアランが大好きで、彼が猫の名前を呼ぶと小屋の中から可愛い顔を出す。アランは、いつも穏やかで笑顔を欠かさない。しかし、アランは酒を飲むと豹変し、暴力をふるうらしい。
彼の給料はすべて飲み代に消え、奥さんが意見すれば殴る蹴るの暴力をふるい、10年前に奥さんは子どもを連れて家を出た。それ以来アランは、一間の借家で一人暮らをしていた。一人になってからは、酒浸りの毎日だったらしい。しかし、仕事に対する責任感と情熱は持ち続けていた。



 半年ほど前から、アランは微熱が続く、体が重たく感じるなど不調を訴えはじめた。医師がHIVの検査を勧めたが、なかなか応じなかった。
診療所に通ってくるエイズ患者と毎日接していることが、逆に恐怖心をあおったかも知れないと思った。アランが検査を受け入れたのは2ヵ月ほど経ってからで、体の衰弱が始まっていた。
検査後すぐにエイズ薬の治療が開始になったが、衰弱した体には副作用が強く、ついに3月末からベッドに伏せたままになった。
職員たちは、一人暮らしのアランのために毎朝救急車を出し、彼を迎えに行き、午後2時半診療所が終わるまで職員たちで彼の面倒をみた。ほとんど食べないために、毎日栄養剤を入れた点滴を受けた。
その後、アランの娘に連絡が付き、現在は16歳の娘が自宅で看病し、徐々に体力をつけつつあると連絡を受けた。

 原稿をここまで書いて3-4日が過ぎた。
昨日(5月27日)の午後アフリカから電話があった「アランが今朝4時に亡くなりました」興奮した職員の声だった。
彼は怒っていた「アランは、元気になろうという意欲がなかったのです。みんなが一生懸命彼のために頑張ったのに、食べるのを拒否したりしたのです・・・」私は、アランが快方に向かっていると思っていので言葉もなかった。
アランが孤独死しなかったことがせめてもの慰めだった。それから職員は私に葬式のことを相談した。

 1996年首都バンギで内乱が起き急遽宿舎にガードマンを雇うことになった。職員が連れてきたのが、アランだった。
彼と銃声を聞きながら夜遅くまで話をした。
不安にかられる私に「そろそろ銃弾も底をつき闘いは終わるでしょう」と冗談で和ませた。内乱後は、診療所のガードマンとして雇用した。
15年間、私はアランに守られ支えられてきたように思う。アランは私の愚痴をいつも聞いてくれた。
「マダム、ここは日本じゃないよ。アフリカだよ」と言って笑った。

アランありがとう。      アフリカ友の会 徳永 瑞子