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第7回 NGOアフリカ友の会 現地報告 「エイズ医療の現場から」
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先進国では1996年頃から、エイズ薬の使用によりエイズは「死の病」ではなくなったが、エイズ薬がアフリカでも使えるようになったのは、2001年に設立された「世界基金」のおかげである。
しかし、中央アフリカ共和国で、「世界基金」の支援で公立病院でエイズ薬の治療が始まったのは2005年で、先進国よりほぼ10年近く遅れてた。もちろん一部の裕福層はヨーロッパエイズの治療を受けていた。「アフリカ友の会」が「世界基金」からの支援でエイズ薬による治療を始めたのは、2006年9月22日からである。
この5年間に1996名の患者を登録し、そのうち約1000名が、血液検査の結果免疫力が低下しており、エイズ薬の治療を開始した。現在も友の会の診療所に通ってくるエイズ患者は約500名である。他の患者は、それぞれの地域の病院で治療を受けている。
エイズ薬の治療が開始されてから、死亡者が激減した。それまでは、診療所で確認できた死亡者だけでも毎年100−120名だったが、エイズ薬の治療が始まってからこの5年間で確認できた死亡者は100名である。
エイズ薬の治療により、肺炎や下痢など日和見感染で衰弱が進んだ患者さんが、まさに生き返る奇跡をしばしば目にしてきた。エイズ孤児になる子どもの数も激減した。
「世界基金」の恩恵は大きかったが、しかし断続的にエイズ薬の不足があり、医師たちは、3種併用のエイズ薬を2種に変更したり、最後は1種類の薬で乗り切り、次の薬が届くまで薬の耐性ができないようにと苦心していた。
ほぼ、この一年間は、薬不足のため新しい患者の治療開始はできていない。
今回は、2−3か月前から薬の配給が滞り始め、8月中旬になって1錠のエイズ薬もない状態に陥った。エイズ患者さんたちは、薬を探してあちこちの医療施設を廻っていた。
「世界基金」で貰っている薬と同じエイズ薬が、アラブの市場に出回っていることが分かった。一月分1000円程度が最初の言い値で、560円(2800F)まで値切ることが可能であった。
結核の薬も「世界基金」から無料で配給されていた。しかし、結核治療の一次薬(最初の2か月間に内服する薬)は、ほぼ1年前から不足し、結核患者さんは処方箋を持って市場に買いにゆき、買った薬を偽薬でないかを確認するため再度医師のところに見せに来ている。
二次薬(一次薬の後4か月間内服する薬)は、無料で政府から配給されている。
継続的に飲み続けなければならない薬が不足し、治療が中断するのは命に関わる問題であり、臨床の現場では毎日患者さんを前にしてなすすべもなく「アラブの市場で買ってきなさい」というのは悲痛である。
幸いにして、日本人の方の支援で、友の会の診療所に登録しているエイズ患者さんに限り治療の継続ができるようにアラブの商人からエイズ薬を購入し、20日分ずつ分けて与え始めた。
毎日、症状が進んだ新しいエイズ患者が診察に来るが、彼らにエイズ薬の処方はされていない。医師は継続治療を受けている患者が治療を中断して薬に耐性ができれば、15倍高い薬が必要となるし、薬を中断したことで体調が悪くなれば急激に悪化し死期を早めるという。
友の会の診療所では、自分たちの患者だけを守ろうと必死になっていることは心苦しいが、私たちはこの支援に肩の重荷をおろした感じである。この国で現在1万5千人がエイズ薬の治療を受けているが、エイズ薬を必要としているのは3万人と言われてる。
このエイズ薬の不足がいつまで続くのか。9月15日は政府が約束している日にちである。期待するしかない。しかし、現在のエイズ薬の不足が、これから死者の増加につながることは確かだと医師は嘆いている。
この危機に関して「世界基金」から調査団が頻回に来て診療所レベルで問題がないかと調べているが、その結果は知らされない。
「世界基金」に拠出金を出している先進諸国も経済上の問題を抱えている。一方では、途上国では、エイズの薬を必要としている患者は累積して増えてゆくが、現場で働く私たちは今後も常に薬に関しては綱渡り的な危機感の中で活動してゆくのかと思うと不安は募るだけである。
この国で「世界基金」からの支援が始まってから7年目である。今までも多少の問題はあったが、今回は薬が全くないという非常事態であり、「世界基金」はその運営方法を見直し、エイズ患者さんや結核患者さんたちが、安心して治療に専念できるようにしてほしい。これは、現場で働く私たちの願いである。
2011年9月2日 徳永瑞子
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