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第8回 NGOアフリカ友の会 現地報告 「戻ってきた子どもたち」
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11月中旬、イブとムサ兄弟が、祖母のもとに戻ってきたと国際電話があった。私は、これで一件落着と安堵した。そして、大人の身勝手さに振り回された兄弟に心から同情した。
イブ(12歳)とムサ(10歳)の兄弟は、今年の3月に父方の叔父さんに引き取られてマリ共和国へ行った。このいきさつについては、5月の原稿で書いたので、簡単に述べたい。イブとムサの父親は西アフリカのマリ人でダイアモンド商人として中央アフリカ共和国で働いていた。父親は中央アフリカ共和国で所帯を持ち、イブとムサが生まれたが、彼らが幼少のころ両親はエイズで亡くなった。彼らは、母方の祖母に育てられた。しかし、マリ人の叔父は、甥たちが大きくなったことを理由に強制的にマリ国に連れ戻った。彼らが、エイズの母子感染をしていること、兄のイブはエイズ薬の治療中で、マリの農村ではその治療が可能であるかわからないなど、祖母は叔父さんに強く意見をしたが、聞いてもらえなかった。祖母は、イスラムでは、女性の意見は聞き入れられないと涙を流していた。3月末、イブとムサは、バスやトラックを乗り継ぎ3週間かけてマリ国の叔父の家に着いた。祖母は、携帯電話で孫たちの声を聞くのをとても楽しみにしていた。携帯電話が、数千キロ離れた西アフリカの村に通じることで祖母は大きな慰めを得ていた。
私は、7月上旬に中央アフリカ共和国に行った。祖母は私を待ち構えていたかのようにすぐ会いにきた。「マリから、孫たちを引き取るようにと電話があった」という。叔父さんが、まるで人さらいのようにして甥たちを連れて行ったのは何だったのか。「この村では、エイズを語ることはタブーである」「ムサは肺炎を起こし入院した。お金がかかる」「彼らは農業の労働力にはならない」これが理由だという。叔父さんは、全てを理解し納得の上で彼らを連れて行ったのではなかったのか。10歳と12歳の少年は、エイズウイルスに感染しており時々体調を壊すため少し身体的発育が遅れ小柄で体力もなかった。とても農作業ができるような体格ではないことは、叔父さんにも分っていたはずだと思っていたが。さらに叔父さんは「お金がないので、子どもたちを連れに来い」と命令すると言う。祖母にとっては、孫が戻ってくるのは嬉しいことであるが、交通費の捻出という大きな問題があった。
祖母は、毎日私のところにお金の相談にきた。私たちは、作戦を練り始めた。私は、一部の経済的支援は行うが、祖母やその家族が経済的負担を負うべきであると考えていた。親族にカンパを募らせた。わずか千円しか集まらなかった。私は、祖母がメッカの巡礼に行った時は、カンパを集めたということを知っていたので、詰問すると「金持だった伯父さんたちは、死んでしまった」と答えた。イブとムサをどのような手段で連れ戻すかによって経費が大きく異なる。彼らにとって一番楽な手段は、飛行機である。祖母が航空会社からもらってきた旅費の見積もりは30万円で、私たちはその値段の高さに動転しすぐ断念した。陸路で親族が迎えに行くという案は、15万円は必要であると見積もったが、この案も高すぎる。第3案は、マリの首都バマコとバンギを往復している商人に連れて戻ってきてもらう案だった。適切な商人を捜すには数週間程度待つことになるかもしれないが、子どもたちの健康さえ許せば経済的にも可能な手段であった。バスやトラックを乗り継いでくる旅費と宿泊食事代など総経費は子ども二人分で約8万円と見積もった。経費は、「アフリカ友の会」が貸し、祖母が洋裁をしながら2年間のローンで返済をする取り決めをした。
子どもたちを商人に託するためには、ガンビアの国境にいる子どもたちをマリの首都バマコまで連れてくる必要があった。叔父さんは、「今は種まきの時期でお金がない。村からバマコまで連れて行くお金を送れ」と請求してきた。そのお金を送金し、10月中旬に子どもたちは、バマコの親戚の家に着き、バンギに帰る商人を待つことになった。
機会は、早く見つかった。祖母の知人でバマコとバンギを往復している女性の商人である。10月下旬、祖母は「孫たちは、バマコを発ちました」と笑顔で報告に来た。イブとムサは、この体験をどのように語るのかが興味深い。私は、彼らは叔父さんの私利私欲に振り回されたと腹立たしく思っている。しかし、彼らには亡き父親の国を知り親族とも交流できたことは生涯忘れることのない素晴らしい体験だったと思ってもらいたいと思う。
徳永瑞子
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アフリカ友の会
アフリカ地域のHIV感染拡大防止を目指して
始めたNGOです。 |
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