「アフリカ友の会」の徳永瑞子さんより
現地報告いただきました。
 アフリカ友の会

第10回 【NGOアフリカ友の会】現地報告 「飢えと飽食」

『飢えと飽食』

世界人口は、今年70億人になりました。そのうちの10億人が飢えに苦しみ、10億人が飽食に苦しんでいます。飽食に苦しむとはおかしいと思われるでしょう。しかし、途上国では、健康を維持するのに必要な食べ物がなく子どもたちは栄養失調や下痢などで多くの命が奪われています。一方、日本では、アルコールの飲み過ぎ、食べ過ぎなどが病気の誘因になっていることは否めない現実です。厚生労働省のホームページによると、平成20年の日本人の死亡数は、114万2467名です。死因は、悪性新生物、心疾患、脳血管疾患、肺炎、不慮の事故、老衰の順です。3大死因は、いわゆる生活習慣病です。生活習慣には、食生活・ライフスタイル・ストレスなどが含まれますので、食生活だけが問題とは言えません。私は、コンゴ民主共和国や中央アフリカ共和国で医療に携わってきましたが、日本で呼ばれている生活習慣病の患者はほとんど見たことがありません。末期乳ガン患者さんをケアしたことが一度だけあります。日本で多い肺ガン・大腸ガン・胃ガンなどは確定診断ができないのでないとは断定できません。また、診療所では心疾患・脳血管疾患の患者さんは稀です。中央アフリカ共和国の男女の平均寿命は、48歳で世界の一長寿国日本の女性の平均寿命86歳にははるかに及びません。この短命は、エイズにより、子どもや20−30代の死亡率が高いのが影響していると思います。しかし、現地にも白髪の人、杖を付いて高齢に見える人々もたくさんいますが、正確な年齢はわかりません。現地の死因は、マラリア、エイズ・結核などの感染症が多いです。

 日本では、十分食べたうえにさらに健康補助食品やサプリメントを飲んでいます。富士経済によると、整腸効果やダイエット、生活習慣病予防、栄養バランスなどを志向した健康食品やサプリメント2010年の市場は1兆7700億円で、高齢者人口の増加に伴い、アンチエイジング、生活習慣病予防などで市場は拡大し続けていると述べています。

 中央アフリカ共和国では、一日1ドル以下で暮らす人口が6割います。彼らは、毎日少なくとも一食を食べることが精一杯で、食材を選ぶことなどできません。そこにあるものを食べるしか方法はないのです。現地の基本的な食事は、イモ類のキャッサバが主食で副菜はキャッサバの葉っぱをヤシ油で煮る「グンジャ」と呼ばれる料理です。彼らの食生活は、生涯変わることはありません。健康補助食品やサプリメントはおろか、毎日4−5種類の食材しか食べていません。

 東京のスーパーマーケットの食料品売り場に行くと、ありとあらゆる食材が天井高く積み上げられています。一つの食材にしても種類が多種多様です。私は10種類もある豆腐からどの豆腐を選べばいいのか、困惑します。人間はこれほど多種多様な食材を取って栄養のバランスをとらないと健康を維持できないのか。こんな疑問がわくのです。日本の食材は、半加工品が多く、味にこだわり、賞味期限、保存期限にこだわり、ありとあらゆる化学薬品が使われているように思います。このような食品を食べ続けることが、生活習慣病の誘因になってはいないのでしょうか? 現地は、有機農業で(肥料を買うようなお金がないのがその理由のようです)食材を生かし、塩、胡椒、砂糖で味付けを行う。こんな食生活が、いかに健康的であるか言うまでもありません。私の子どもの頃(昭和30年代)は、今のアフリカに近く、生の食材を生かした質素は食事でした。今は、その当時の食事がとても懐かしく思い出されます。地球上では、10億人が飢え、10億人が飽食です。日本人がそれぞれの食生活を見直す時期に来ているような気がします。

 2012年6月20日 アフリカ友の会  徳永瑞子


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徳永さんが活動の中からうみだした言葉と写真は深く心に響きます。

中央アフリカ共和国で活動を始めてから今年で20年目になりました。もう、こんなに永い歳月が流れたのかと感慨深く思っています。中央アフリカ共和国で活動を始めた頃は、毎日寝る前にその日に関わった患者さんを思い出し、彼らのことを書き綴っていました。エイズ患者さん一人一人が数字で片付けられるのではなく、彼らが生きた証やその生き様から学んだことなどを患者日記として残そうと思ったからです。しかし、患者さんは日増しに増えてゆき、患者さんの名前を覚えられなくなり記憶も混同し記録にかかる時間が長くなり、時には睡魔に襲われ記録が途切れがちになりました。エイズ患者の支援を始めてから、5年目には一年間の新しい患者登録数が千名を超えるようになり、私は患者さんのケアに翻弄される毎日で、患者日記は白紙になってしまいました。しかし、多くのエイズ患者さんを看取りながら、私は一行でもいいから彼らのことを記憶に留めておきたいと思い考えたのが5・7・5の17文字でした。患者さんの記憶として、俳句の素人が17文字を並べただけであり季語などの知識もなく俳句というより短詩というべきでしょう。しかし、その17文字を読むと今でもその時の患者さんの様子や情景がまざまざと瞼に浮かんできます。ソファやベッドに寝ころびながら患者さんのことを思い浮かべ両手を広げ指を折って5文字、7文字を探して作った17文字です。詩ごときものを書くようになったのも思いつきからです。思い出した短い文章を小さなノートに書き留めていました。ゆくゆくはそれをエッセイにまとめたいと思っていましたが、いざ文章を書き始めるとその労力に疲弊し、詩ごときものにしてしまいました。しかし、私が公表して多くの人々に見てもらいたかったのは写真です。活動を始めてこの20年間に撮った写真が数千枚になりました。素人が、ただぱちぱちとシャッターを押しただけの写真ですが、子どもたちの表情はすばらしいです。子どもの笑顔、悲しそうな表情、真剣なまなざしなど写真一枚一枚に彼らの物語があります。その物語を読み取っていただけたらと願っています。この本の主役は子どもたちです。
(序 『俳句に寄せて』より)