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2012年9月29日朝3時 ルイズは25歳の若さで亡くなった。
当日10時過ぎに訪問診療に行ったときは、親戚や近所の人々が集まりルイズの死を悼んでいた。ルイズの母親は私を見るとせきを切ったように号泣した。母親は号泣するのを止めなかったというより、今まで我慢してきた悲しみや悔しさが吹き出し止められないようだった。私は、葬式の足しにと、母親にお金を渡し、親戚や近所の方々に一礼をして車に戻った。ルイズの亡骸は、病院の霊安室に運んだとのことであった。親戚が集まり葬式の準備を話し合い日時が決まるまで、亡骸は冷所である霊安室に安置される。親戚からお金を募り、葬式の準備が整うまでに4−5日かかるのが一般的である。
今年の3月にルイズの訪問診療をしてから私と彼女の係わりが始まった。ルイズの自宅は、診療所から車で30分ほどの距離だった。国道から離れると3キロ余りは野道で両側に人が隠れるような葦が茂っていた。葦をかき分け進むとマンゴやヤシの木に囲まれた家々が点在し、その中の一軒がルイズの家だった。彼女の右下肢はカポジ肉腫で歩行が困難になっており訪問診療を続けていた。
カポジ肉腫の治療は、2週間ごとに「ビオミシン」という薬を静脈内に注射するだけで大きな効果が期待できる。抗エイズ薬は、すべて「世界基金」の支援に頼っており、患者の負担金は全くないために貧しい患者でもエイズの治療を受けることができる。
4月に「ビオミシン」の在庫がなくなった。「世界基金」は「待ってください」というだけだった。人の命にかかわることなので待つことができるはずがない。「ビオミシン」が届かない理由については、いろいろな憶測が飛び交ったが、理由などどうでもいい、カポジ肉腫の患者たちの命がかかっているのである。
「ビオミシン」を薬局で買うと35,000フラン(約3,000円)月に70,000フランが必要である。運転手の一か月分の給料に匹敵する。カポジ肉腫の患者はルイズ一人ではない。他にも援助しなければならないエイズ孤児、栄養失調児がいる。どう考えても捻出できない金額であった。
次にルイズと会ったのは、8月上旬であった。私は、彼女の憔悴した姿を見て息を呑み込んだ。右下肢は2倍以上大きくなっていた。浮腫んでいるのではなく、肉腫が増殖したのである。下肢は大小の塊で覆われていた。足背は、すでに塊が自壊して浸出液が出ていた。ルイズはマンゴの木陰に座っている。彼女はいつも寡黙であるが、深い悲しみを漂わせているような表情をしているので、私も辛い。彼女の傍には母親が付き添い、兄弟姉妹、甥や姪たちもルイズの回りに集まってくる。この大家族のみんながルイズの世話をしているのだ。
私たちにできることは、肉腫から出る浸出液のためのガーゼを渡し、ルイズが食べたいものを食べられるようにお金を渡すことだった。母親に毎週診療所に来てもらい、ガーゼとお金を渡した。2週間帰国した私は、ルイズのカポジ肉腫のケアに必要なガーゼの代わりにたくさんの新しいタオルをトランクに詰め、9月27日にバンギに着いた。翌日、母親が診療所に来たので、たくさんのタオルを持たせ「明日訪問するからね」と伝えた。母親は「明日待っています」と言って笑顔で戻って行った。
しかし、私はルイズに会えなかった。訪問した日の朝3時に彼女は亡くなった。
バンギに着いてすぐルイズを訪問しておくべきだったと後悔ばかりが残った。25歳の死は惜しまれてならない。救えるはずの命を救えなかったという後悔が残った。薬が不足していることに対してルイズも家族も何も言わなかった。私たちは何も言えなかった。
私は、ルイズの死因は「貧困」だと思った。
今まで、エイズで亡くなった多くの人々の死因も「貧困」だったと思う。
しかし、ルイズは、大家族に囲まれて、家族はルイズの世話を惜しまず、家族は、ルイズを中心に回っているように見えた。ルイズは家族みんなから愛され惜しまれながら逝った。彼女は幸せ者だったと思いたい。
2012年11月23日 徳永瑞子
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